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光明山
正月の光明山遺跡からの大展望と富士山の展望を楽しんだ手軽に登ることができる遠州の名低山
2024年1月7日
光明山(540.3m)
行程 道の駅いっぷく処横川(7:13)・・・光明山登口(7:26)・・・尾根(7:53)・・・展望所(8:09)・・・送電線鉄塔(8:35)・・・光明山遺跡(8:51-9:06)・・・舗装道(9:16)・・・光明山分岐(9:21)・・・光明山(9:33-42)・・・光明山遺跡(10:07-15)・・・送電線鉄塔(10:27-37)・・・展望所(10:53)・・・光明山登口(11:22)・・・道の駅いっぷく処横川(11:32)
山行記
●遠州一帯の富士山が見えそうな山も一通り登った感じだなのだが、この山の存在はつい最近知ったばかりで、富士山が見えるかどうかもはっきりしていないが、光明山遺跡からの展望は素晴らしいということなので、今回登ってみることにした。
●起点は道の駅いっぷく処横川ということで、豊川からは近いし駐車場の心配も無い。豊川を朝6時に出たが、1時間程で道の駅いっぷく処横川に着くことができた。以前は奥深い印象があったこの辺りも、新東名の開通で随分近くなったものだ。
●この日は冬型の気圧配置になるという予報で、道の駅は冷たい風が吹いていて寒いので、少し多めに着て出発した。道の駅から国道362号線を横断し集落の中の舗装道を進んでいく。
●すぐに集落が途切れ「光明山登口」の案内が現れるので、それに従って山道に踏み入る。植林の中の道はしだいに傾斜を増し、九十九折の急坂に代わる。
●道には「〇丁目」と掘られた石柱が立てられているが、それが全部で何丁目まで続くのか、それが光明山遺跡までなのか、光明山山頂まで続くのかもわからないので、初めて訪れた者にとってはあまり参考にならない。
●九十九折れの急登を登り切ると尾根筋に出て、その傾斜も緩み、しばらくは緩やかなアップダウンをしながら進む。途中、東に展望の開ける場所があったが、その中に僅かに富士山を確認することができたので、一気にテンションが上がった。
●再び急登が始まり、それを登り切った送電線鉄塔の建つ場所からは、先程よりも大きな雪を被った富士山を観ることができた。その手前からは、光明山遺跡の直下に建つ送電線鉄塔も見ることができた。
●送電線鉄塔からは、尾根に沿って右に回り込むように進んでいくと、立派な石垣が積まれた光明山遺跡着く。下の段からでも浜松市街や遠州灘などの大展望が広がるが、傷みが激しく心許ない石段を上がり、上に行くにしたがってさらに展望は開ける。
●光明山遺跡は冷たい風が吹いていて寒いのだが、我慢して展望を楽しんだ後、再び下段まで戻り、光明山山頂へ向かうが、案内板には光明山山頂が書かれておらず、頼みのGPSも電池切れしてしまったので、用意した地図を参考に方向を決めて進んだ。
●結局、光明山遺跡の手前の道を緩やかに進んでいくと舗装道に出たので、なんとか現在地を確認できた。その先の案内板では、ようやく光明山山頂の記載があったのでそれに従って、光明山山頂への取り付き点を捜した。
●何箇所かある光明山山頂への取り付き点の一つから取り付くことにしたのだが、取り付き点から始まる木の階段の損傷が激しくあまり歩かれていないようだ。それでも明瞭な道は続くので、その急坂を登っていくと、光明山山頂へ到着することができた。
●光明山山頂は樹林に囲まれ展望は無いが、三角点や山頂標識はしっかりと付けられていた。光明山山頂で少し過ごした後、下山は右ルートをとろうと思い、奥の院と案内のある方向へ下り始めた。
●途中奥の院との分岐があったので、そこを奥の院と反対方向に下りていくコースをとったのだが、それが間違いだったようで、結局来た道に戻ってしまった。ここまで来て戻るのも大変なので、予定変更で来た道を戻ることにした。
●後で見直すと、右回りコースへ行くには、一旦奥の院の方へ進み、途中から右へ折れて下っていくのが正解だったようだ。ということで、往きに見た富士山とは光の当たり方が変わった富士山を楽しみながら車を置いた道の駅いっぷく処横川へ戻った。

道の駅いっぷく処横川を出発 光明山登口 丁目が彫られた石柱
展望所からの展望 展望所から観えた富士山 送電線鉄塔からの展望
送電線鉄塔から観えた富士山
光明山遺跡 光明山遺跡から観た浜松市街と遠州灘
光明山遺跡にある展望案内板 舗装道に出る 光明山山頂への取り付き
光明山山頂
帰路展望所から観た富士山 帰路送電線鉄塔から観た富士山
道の駅で頂いたミニ天丼と蕎麦のセット シジュウカラ イズセンリョウ

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